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「おくのほそ道」旅立ちの日

今日5月16日は、旧暦3月27日にあたり、松尾芭蕉が「おくのほそ道」へと出立した日です。
芭蕉が敬慕していた、平安末期の歌僧、西行法師の500回忌にあたる年でした。芭蕉の年齢は、45 or 46歳のとき。
西行が奥州の旅で詠んだ歌枕をなぞる旅でした。
 
現在の東京・江東区常磐一丁目にあった深川芭蕉庵から近く(およそ1kmほど)の深川一丁目の採荼庵(さいとあん)へ一旦移り住み、そこからすぐ近くのたぶん、仙台堀川(運河)で船に乗り、隅田川を上って、千じゅ(現在の北千住あたり)で船からあがっています。
千じゅまでは、蕉門十哲の門人らが舟で見送り、あがって、立ちならんで見送ったと記されています。
 
ここで、”行春(ゆくはる)や鳥啼(とりなき)魚の目は泪”という句を矢立の初(旅行吟の詠みはじめ)としています。
 
鳥啼魚の目は泪と、中句と下句に詠み込んでいます。これは、素直に受け入れてもいいのですが、親しくしていた武士に「鳥金右衛門(芭蕉は彼に、この旅の同行者にと望んでいた八十村路通が、その前に江戸を去ってしまって、悲しみに暮れる心情を吐露して、送った手紙が10数年前に発見されています)に向けて、”鳥啼き”、そして、芭蕉の経済的援助者で、なお、蕉門十哲のひとり、魚問屋の「杉山杉風」に向けて、”魚の目は泪”と詠んだのでしょう。たぶん・・・
 
以上の話につながりそうな写真を掲載します。
深川芭蕉庵は幕末のころ火災で消失して、いまは、小さな稲荷社が建立されています。ここで、「古池やかはづ飛び込む水の音」が詠まれています。
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これは、採荼庵の川向うに位置する、都立9庭園のひとつ、清澄(きよすみ)庭園にある大きな句碑です。
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清澄通りに面している採荼庵の縁台に座す旅立ち前の芭蕉像
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そして、(やうやう)草加(さうか)と云(いふ)宿にたどり着(つき)にけりと続きます。
 
これは、日本の道百選のひとつ、草加松原遊歩道(旧日光街道の松並木)に隣接する札場河岸(かし)公園内に建つ芭蕉像です。江戸の方を振り返っている姿です。
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草加宿に泊まったのか、はたまた、越ヶ谷宿(同行の曾良の日記では)粕壁宿か、定かではありませんが、おくのほそ道は、旅日記であるとともに、文学作品として推敲を重ねたもので、後者のふたつの名には、”が”や”べ”の濁音が入るので、清音の”さうか”として、千住からは近いのですが、長途の行脚の旅支度を整えたのかもしれません。
 
なお、旅の同行者は、八十村路通に代わって、蕉門十哲のひとり、河合曾良になりました。彼も克明に旅日記を記しています。
芭蕉と曾良の二人連れを想起させる像ですが、途次、もっとも長く滞在したのは、現在の栃木・大田原市の黒羽で、黒羽城址公園に隣接する黒羽芭蕉の館の前庭にある像です。那須野が原あたりでは、馬を借りていますが、ほとんどは、歩き続けたと思われます。
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このあと、ふたりが辿った太平洋側の北端では、平泉まで追っかけをしたことが数度ありますが(苦笑)、今宵はここいらまでとさせていただきます。以上、勝手な自説があり、間違っているやもしれません。105.png
 
今日の名言:
 
月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。 松尾芭蕉
 
「おくのほそ道」の冒頭は、この名言で、始まっています。

by shirakobato2 | 2022-05-16 19:54 |
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